ウォーキングと美味しいもの

歩いた街や見つけた美味しいもののメモなど

ブログを書いていたら、編集部



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ブログを書いていたら、5月からある会社の編集部で働くことになった。ブログがきっかけで部署が変わる、ってこともあったけれどブログで職業も変わった。4月の終わりまで飲食店で料理をしていた自分が編集部にいる。なんで、どういう流れで、というのはすごく長くなるけれど、今書いておかないともうタイミングも(書く気も)出てこなそうなので、改めて大学を卒業してから今までを振り返っておこうと思う。

大学卒業後は通信会社に入社した。比較的本社勤務志望の同期が多かった中、あるグループ会社(オフィスは東京)に興味があった自分はどうやったらその会社に配属されるのか考えて「〜~という理由でそこで是非働かせてほしい」と資料を作って、配属面談で一生懸命伝えた。それを聞いてくれた人事部の課長から「君はなんでそんなやる気あるの、良いね。是非頑張って欲しい」みたいなことを言われて、お、狙い通りこのグループ会社で働けそうだ、東京勤務だなと確信に近い自信とともに、配属が発表される日に扉を開けた個室で伝えられたのが「別のグループ会社の仙台拠点」への配属だった。(しかも、200人以上いた同期の中で自分1人だけがそこ)

えっ?と、まさに時が止まったように感じるっていうのはこういうことなんだな、ってくらい驚いたけれど、数分後には楽しそうかもと案外すぐ切り替えられた。

それににしても、仙台って今まで行ったことがないけれどどんなところなんだろう……会社では何をやるのかな……と色々、というか全くわからない中でとりあえず新幹線に乗って、仙台駅に着いた瞬間(か、新幹線で駅弁食べながら途中窓から見える景色を眺めながら)、おそらくそのタイミングで「知らない土地・街に行くぞ、そこで暮らすんだ」っていうことのわくわく感みたいなものを知った気がする。

着いてみたら、空気が違って見える風景も違う。見るもの見るものすべてが新鮮だった。自分の事を誰も知らない土地での生活がはじまる。楽しいぞ、これ。朝起きて榴岡の借上社宅を出て、歩いて一番町にあるオフィスへ行く、ただそれだけで楽しかった。美味しいものを食べることにはまったのも仙台に配属されたからこそかもしれない。毎日毎日、ランチタイムは会社近くに美味しいお店がないか探して歩いた。

夜になったら、1人国分町の居酒屋を飲み歩いた。ある日お気に入りのお店を見つけた。そこで日本酒ってこんなに美味しいんだと知って、気さくな店主と仲良くなった。「今日は〜~があるよお」、「それお願いします」、「はいよお」。カウンターの端に座りながら、忙しい時でも笑顔で楽しそうに料理をする店主の姿を眺めながら、飲むお酒は美味かった。

夏も秋も冬も春も、予定の無い週末は駅前のロータリーからバスに乗って温泉に行った。特に気に入ったのが秋保温泉。温泉の後、磊々峡を1人で眺めながらさいちのおはぎを食べた。特に、冬に雪を見ながら入る露天風呂は格別だった。仕事では日々泣かされそうになるくらい(ってか何度も泣いた)厳しかった(が、ここぞというときに優しい)上司に鍛えられた。色んな出会いがあった。一年目には震災も経験した。

二年間仙台で働いた後、海外勤務もしてみたいと思っていた希望が叶ってマレーシアで働くことになった。(これが初めての海外。帰国子女が多かったり、海外旅行に頻繁に行っている人が多かった大学時代「自分は最初の海外は仕事で行くぞ」と、今思うと謎な目標を自分の中で決めていた。ので、マレーシアに向かう飛行機の中、「ついにやったぞ、自分」とこっそり喜んだ)

マレーシアでの生活はまた違った楽しさがあった。家賃は日本円で月5万円で100㎡超、プール、ジム付きのコンドミニアム(どちらも結局最後まで使わなかったけれど)に住んで、毎日サイバージャヤのオフィスまでシルバーの車(Proton Persona)で通った。(なぜかよくナンバープレートが走行中に落ちた)日が登るのが日本に比べて遅く、7時過ぎに家を出る時はまだ真っ暗で、高速道路を走る途中でのぼりはじめる大きな濃いオレンジ色の朝日が印象的だった。

オフィスに着くと左にはいつもTaki、Taki!と元気なYatieが(本名はTatsukiなのに、言いづらいらしく「Taki」になった)、さらにその左には頭がよくクールなLimさん、その隣には笑顔が可愛いTanさんがいた。皆本当に優しくて、英語が下手くそな自分の話をいつもしっかり聞いてくれた。

週末はKLで過ごすことが多かった気がする。見る前は横浜のランドマークくらいだろうと勝手にイメージを持っていたペトロナスツインタワーはびっくりするくらいに巨大で、中はとにかく広かった。

余裕があれば車でイポーやキャメロン・ハイランドへ行き、時々飛行機でランカウイ、ペナン、シンガポールへ行った。カンボジアで2週間過ごし、そこからバスでバンコクへ向かった年末は人生の中でも最も冒険的なものだった思う。こんな風にマレーシアでの生活も満喫しながら、仕事も日本に比べて個人の裁量が大きくて、良い意味で自由。毎日充実していた。

マレーシアから帰国した後は、東京の本社勤務になった。優しい課長に、同じく美味しいものが好きな先輩や後輩との出会いもあった。ちょうどこの時に「神楽坂」に引っ越したことがきっかけで、歩くことに夢中に。

ただ震災を経験したことが個人的には大きかったのか、何気ないある日の帰り道、いつものように大手町から皇居沿いを歩いている時に急に「いつ終わるかわからない人生、やりたいって思ったことはなんでもやっておかないと」、「このままじゃまずい」と急に焦った。

元々関心の高かった「食」の分野にチャレンジしよう、と次の日の朝一上司に相談し、飲食店を運営する会社に転職をした。(色んな人との別れは寂しかったし色んな人から何度も「本当に辞めるのか」って言われたけれど、チャレンジしたい気持ちが勝った)

「飲食店の運営をするならやはり食に詳しくないと。勉強しておかなければ」と思った。また、将来自分で店をやるために「こういうのが良い、好きだ」と思うお店や料理を明確にしこう、「食」についての感性を磨くことにもつながれば、と考えてはじめたこのブログは、しばらくすると思いもしなかったくらい多くの人に読んでもらえるようになって、いつの間にか飲食店のレポート的なライターの仕事もいただくようになった。「好きなものを食べて、そのことについて書く」、今まで普通にやっていたことが仕事になることは、不思議なこともあるもんだと思いながら、楽しめた。

仕事は池袋店、新宿店、間に商品部を挟んで、大崎店、桜木町店。どの店舗でも上司、同僚、パートナー、皆良い人ばかりで、楽しく仕事をすることができた。

お店の運営も慣れた頃、今後の自分のキャリアを長期的に考えてみて「自分だからこそできること」ってものを伸ばしていかないとなあと思っていたタイミングで、いくつか縁があって、最終的に今いる会社の「編集部」で働くことになった。きっかけはこの記事で、嬉しいことに会った面接官の方が皆が評価してくれた。

編集部で自分の担当は「街」。街の魅力をいかにうまく伝えていくか考えて、見た人がその街に行ってみたい、と思えるような記事を考えていくのが仕事。とはいっても編集の経験はほぼないので、まだ初心者。こつこつと頑張りながら、できる限り早く、読んだ人がこの記事良いなあ、と思えるようなものを作りたい。

そういえばもう10年も前、大学1年生の時に「将来は記者か編集者になるのかな」と言われたことがあるのを今このブログを書きながら思い出した。楽だと聞いて一度参加した小説、エッセーを書く研究会で提出した文章を「これ書いたの君?新しいね、良いじゃん」と担当の教授に個別に褒めてもらったのを思い出した。ずっとなりたかった、やりたかった、って訳ではないけれど、今「編集部」にいる自分ってものを考えると、すごく不思議な気もする。人生ってどうなるかわからないもんだ。まあ自分らしく楽しみながらしっかりやろう。

仕事ではきっちりとした文章を扱わなくてはいけない分、このブログでは引き続きこんな感じで、誤字脱字、文法気にしないで気軽に日々歩いた場所、見つけた好きな美味しいものについて書いていきたい。

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それにしてもきっかけになった寄稿の依頼をいただけたのも、はてなでブログを始めたからこそ。はてなでブログをはじめることにして良かったなあ……って今日午前の打ち合わせ中、改めて思った。

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